Mathys の歴史
マティスの歴史は1946年にまでさかのぼります。
小さなファミリーカンパニーが、世界をリードする整形外科手術用医療機器メーカーにまで成長した歩みを、時系列で説明いたします。
マティスの歴史は1946年にまでさかのぼります。
小さなファミリーカンパニーが、世界をリードする整形外科手術用医療機器メーカーにまで成長した歩みを、時系列で説明いたします。
Robert Mathysはわずか25歳で「Rob」という会社を設立する。Mathys & Co.は1946年6月1日付で商業登記される。ステンレス鋼の加工を専門とするRobert Mathysは、中古の自動旋盤を3台購入し、6月中旬には早くも生産を開始する。これが今日のMathys AG Bettlachの礎石となった。
Maurice E. MüllerとRobert Mathysが出会う。こうして、医療技術への一歩が踏み出された。Mathysは骨の外科手術や整形外科用のインプラントおよび器具の開発・製造を行う。グレンヘン病院では、手術に立ち会い、研究に没頭する。
1961年2月9日、Maurice E. MüllerがRobert Mathysが開発した最初の人工股関節を患者に装着する。ヨーロッパ大陸で初の人工股関節の移植となる。
Mathys社はMaurice E. Müllerが所有するベルンのProtek社向けに人工股関節の生産を開始するMathys社にとっては、これが第二の柱となる製品の開発の始まりとなった。骨接合用のスクリューやプレートに加えて、人工関節も製造するようになる。
非セメント型弾性モノブロックカップの原点。骨セメントを使用せずに一次インプラントの高い安定性を実現することを目的として、セメントで接合されたMüllerカップの設計に基づいて開発された。
ベルン大学医学部より、骨医学への貢献が認められ、Robert Mathysに名誉博士号「Doctor honoris causa」が授与される。外科医のMaurice E. Müllerは、医学部長への推薦状に次のように書いている。「Mathys氏の場合、教授会は骨の外科分野に先駆的な貢献をした普通の人に名誉博士号を授与することになるだろう」
全世界で400人以上の従業員がRobert Mathys Co.で働く。<1}製品の種類は3149種類にまで拡大した。8,000の病院が顧客リストに含まれており、生産量の95%が輸出されている。最も重要な市場はフランスとドイツである。
Mathys社独自のチタンコーティング「RM」(Robert Mathys)が、RM Classicに初めて採用される。このチタン粒子により、インプラントのオッセオインテグレーションが可能になる。チタン粒子はポリエチレンの中に個別に固定され、互いに構造的に接続されていない。そのため、コーティングによってインプラントの弾力性が変化しない。
Mathysの株主は独自の整形外科部門を設立するための戦略的基盤を築く。Hugo Mathysが人工関節部門の管理と開発を引き継ぐ。将来的に独立して事業を行うための重要な決断であった。
Robert Mathys juniorがMathys Medizinaltechnik AGの取締役会会長に就任する。夏に会社の50周年を祝い、盛大なパーティーと新しいブランドのアイデンティティを発表する。Mathys社は1996年にSulzer Medica社に合併されるまで数十年間にわたり、MüllerのProtek社の股関節を製造した。その35年の経験をもとに、Mathys社は1996年に自社の名前で人工関節の販売を開始した。その5年前には、Mathys社は関節置換術に戦略的に注力し、意識的にこの方向性を打ち出していた。
1998年、実績と安定性のある最新のbalanSys BICONDYLAR膝関節システムが初めて移植される。当時、時代の先端を行っていたこのシステムは、今日でもその価値を証明しており、近年では、レゲラ機器やvitamysのインレイの発売により、さらなる技術開発が行われている。
Mathys社はドイツのKeramed社を買収する。同社はセラミック素材を専門としており、Mathys社は間接置換の分野で長年にわたり実験を行ってきた。1970年代初頭、Keramed社は内視鏡用のバイオセラミックスの開発および販売を世界で初めて行った企業の一つである。
弾性のあるRM Classicカップの実証済みのコンセプトに基づいて、さらなる開発が進められ、突起のないRM Pressfitバージョンが市場に導入される。
Mathys家はオステオシンセシス事業とそれに伴う会社規模の90%をSynthes USA社に売却することを決定する。今後、新会社のMathys AG Bettlachは股関節、膝関節、肩関節の人工関節の製造に注力する。Hugo MathysがCEOとして会社を率い、取締役会会長はRobert Mathys juniorで、数年後にはHugo Mathysにその座を譲ることになる。
Keramed社の買収から5年後、Mathys社は股関節内視鏡に使用される分散型セラミック製の最初のヘッドド、ceramysを発表する。Mathys社のセラミックはすべて社内で開発、製造、テストされている。
Livio Marzo(第3世代の初代代表取締役)がMathys社の取締役に就任する。Marzoは人工歯根置換の分野を専門とするThommen Medical GruppeのCEOである。Thommen Medical Gruppeの歯科インプラントもMathys社が起源となっている。
RMカップは次の開発段階に入り、現在はVitamysで提供されている。VitamysはビタミンEを強化した高度に架橋されたポリエチレンで、高い弾性、高い耐摩耗性、高い耐酸化性、優れた機械的強度を備えている。
Mathys社はシャフトのない人工肩関節の開発で先駆的な成果を上げる。そして、大きな骨欠損を伴わないシンプルな解剖学的再建の利点を兼ね備えたソリューションを開発するという目標を掲げた。そのソリューションとは、Affinis Shortである。
Mathys社はoptimysの短いシャフトにより、別の画期的な開発に成功する。このプロテーゼは患者の個々の解剖学的条件を再現するために、骨を保存するデザインで開発された。
Mathys社はLigamysによってスポーツ整形外科分野への足掛かりを得る。Ligamysは患者自身の十字靭帯とその機能を維持したまま、十字靭帯断裂を治療する方法である。「Preservation in motion」の精神に基づいたもう一つの製品である。
ベットラッハのギュッター通りが創業者の孫と曾孫10人の立ち会いのもと、「Robert Mathys通り」と改称される。会社の歴史が始まった家の前に、御影石の記念プレートが除幕された。
テストパイロットのRoger Mathysが父Robert Mathys juniorに代わり、第3世代の代表取締役として2番目にMathys AG Bettlachの取締役に就任する。
3年間の統合段階を経て、Hugo MathysはMathys AG Bettlachの運営管理をBenjamin Reinmannに引き継ぐ。もともと医師であったReinmannは、家族経営の会社であるYpsomed社から来ており、そこで12年間働いていた。そして、就任時には「何を期待されているのかがわかる」と発言した。
Hugo Mathysは取締役会の会長職を甥のLivio Marzoに譲り、Mathysの第3世代となる。コロナ禍におけるパンデミックの影響下で、Mathys AG Bettlach社は年末に利益を計上したものの、その影響は大きいものだった。
Mathys社は創立75周年と創立者Robert Mathys博士の100周年を迎える。「Preservation in motion」というスローガンと「先駆的」、「相互に」、「証明された」という価値観が強調され、多くの点で特別な社史である。
さらに、Mathys社はアメリカのDJO社と提携し、成長する人工関節市場での地位を共同で拡大している。
マティスの企業文化は、堅固な伝統に基づくきわめて質実剛健なものであり、私たちは、お客様だけでなく従業員も、このような企業文化から大きな恩恵を受けているものと確信しております。
このような文化を育み、さらに発展させることは極めて重要であり、これが私たちが当社のミッション、ビジョン、及び企業としての5つの価値観を重視する理由となっています。このような価値観は、世界中のすべての従業員にとっての行動規範となっています。
当社の価値観は各部門の12名の従業員により明文化され、そこには私たちが日々の仕事で重要だと考える行動のガイドラインが記されています。